親子リトミッククラスに通っているお母さんが、こんな話をしてくれました。

 

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息子をリトミックに連れて来た初めの日、佳織先生が

 

「リトミックはおゆうぎではないから、子どもを追いかけ回してやらせようとする必要はありません。」

 

とおっしゃったのですが、正直、そのときは「そんなもんなのかな。」という感じで、ピンと来ていませんでした。

 

ところが、回を重ねるごとに、「追いかけ回さなくていい」ということが、わたしの心をとても軽くしていることに気づきました。

 

息子が先生の言う通りにしていなくても、みんなと同じにしていなくても、参加していなくても、イライラしたり落ち込んだりしていない自分がいました。

 

そうやって息子を見ているうち、勝手に走り回っているようでいて、ときどき、音楽を聴いて反応していることを発見したのです。

「わぁ、ちゃんと聴いているんだ!!」と感激しました。

 

以前、育児サークルに行っていたときは、ちゃんとやらせるために追いかけ回すだけで終わっていて、「やらない」ということばかり目についていました。

 

いえ、指導をしてくれている保育士の先生が「ちゃんとやらせてください。」と言ったわけではないのです。

それなのに、勝手にプレッシャーに思っていました。

 

「他の子はみんなちゃんとできている。」と思っていたけど、今思うと、周りを見回す余裕もなく、実際にやっていたかどうかは定かではないなと思います。

 

もしかしたら、息子は今と同じように、息子なりに参加していたのに、わたしが気づかなかっただけかもしれません。

 

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子ども自身は同じなのに、親の受け取り方、感じ方でガラリとちがって見えることがよく分かります。

そうして認められ、満たされた子どもが、結果として、さまざまな力をつけて伸びていく姿が容易に想像できます。

 

わたしの教室では、入園前の子、幼稚園に入ったばかりの子はお母さん(保護者様)と一緒にレッスンに参加します。

少しずつ、お部屋の中でお母さんから離れる練習をし、いずれは子どもだけでレッスンします。

最初は、待合室の窓から心配そうに覗いているお母さんも、そのうち、だんだん、子どもを降ろしたらお買い物に出かけたりして、完全に子どもだけでレッスンを受けるようになります。

 

無事に母子が分離できるまで、なんとなくの流れや年齢というのももちろんあるのですが、長年、子どもたちを見て来て、それだけでは説明できないこともあるように思います。

 

それは、子どもによって「生まれながらに自立心が強く、むしろ、早く自分だけでレッスンを受けたいと思っている子がいる」、ということです。

逆に、お母さんがどんなに模範生のように子どもに寄り添った素晴らしい育児をしていても、元々持っている不安感がとっても強いと感じる子もいます。

出生時の経験とか脳とか、いろいろ調べたら何か解明されるのかもしれませんが、日々の育児で大切なことは、とにかく目の前の子どもの特性に対応する、ということではないかと思います。

 

わたしたち講師も、ひとりひとりのケースにそんなに深刻にならず、起きたことに柔軟に対応していくことが、お母さんを追いつめないで済むように思います。

 

子どもに関わるのが苦手なお母さんの子が、自立心旺盛で、特別なケアも必要なくあっさりと親子分離できるケースはとてもラッキーだと思います。

母子ともに、悩まずに済みます。

 

不安感の強い子どもに、愛情深くて子どもの対応が上手なお母さんがいる場合も、根気よくおおらかに子どもに向き合ってあげていて、良かったなぁと思います。

 

辛そうだなと感じるケースは、不安感の強い子どもと対応が苦手なお母さんが組み合わさったときです。

そんなとき、講師側もお母さんも「組み合わせの妙」ということを思っていれば、「自分だけが悪い」と考えなくて済むのではないでしょうか。

 

ひとつ、アドバイスできるとしたら、お母さんは、自分が自分の母親と離れると考えたら、どんな風に感じるか、何か覚えていることはないか、思い出してみると良いと思います。

知らず知らずのうちに、自分の不安感を重ねてしまっていたり、嫌な思い出をわが子で挽回しようとしているケースがあるからです。

その場合は、「あのときはあのときで、母とお互いに噛み合なかっただけで、母は母なりに一生懸命だったんだ。その証拠に、今、こうしてわたしは母になって独立しているじゃないの。当時のわたしは、今のわたしが癒してあげよう。」と、自分の体験を切り離して考えることで、ずいぶん、すっきりするように思います。

 

ところで、「なかなか子どもが離れてくれない。」と悩むお母さんとお話していて、お母さん自身が無意識のうちに「本気で離す気がない」ケースがあることに気づきます。

 

親子分離の根っこのところに「子どもを自立させる」という気があるかどうか、一度、自分に問いかけてみると良いと思います。

すると、「子どもだけでレッスンさせる」ということが、実は、「失敗しながらも自分(子ども)が経験して自分(子ども)の足で歩んでいく」のを見守るつもりではなくて、「自分(母)が思い描く時期に、自分(母)が満足いく形で分離する」のを望んでいることがあるのです。

 

子どもはそれを敏感に読み取りますから、ますます不安に思って離れられなくなります。

自分の意思や思いとは関係なく、お母さんが気に入るように行動しないとお母さんが幸せになってくれないからです。

 

お母さんにとっては、悪気もないし、無意識なのが厄介です。

わたしが下手に指摘すると、すごく抵抗されてしまいます。

 

一番良いのは、このことをお母さん自身が内省して気づいてくれることです。

そして、そのときに、「気づくことが大切」なのであって、「あなたがダメ」ということではない、と知っていることが大事だと思います。

多くの場合、それは、お母さん自身の育ちだけではなく、ご先祖様から脈々と受け継ぐ、因縁のようなものが関わっているからです。

自分が悪いと考えずに、誰のせいでもない因縁を、自分の代でおしまいにしよう、と考えると少し気持ちが楽になると思います。

 

母として、愛する子どものために取り組んでみてはどうでしょうか。

かおり先生

 

先ほど就学前検診が終わりました。

レッスン間に合わず申し訳ありません。

 

亜希はすさまじく嫌々で親子分離もできず一緒に検診回りました。

更にあまりに他の子がしっかりしており、母はダメージをうけました(*_*)

 

うちはうち、よそはよそ…と思いながらなかなか割り切れず…ダメですね。

 

 

相川さま

 

こんにちは。

ごくろうさまでした。

 

わたしは、長男が小さかった頃、 それほど他の子と比べてどうこう、 という母ではなかったのですが、それでも、 今思い出すと自分に余裕がなかったり無知だったりして、 本人なりに精一杯だったところに母さえもむち打つような態度を取 ってしまったことを思い出します。

 

たった1人で、初めての人生をがんばっている長男に、唯一、 味方になってやれるわたしが、どうして「その他大勢」 側に付いてしまったんだろう・・・、と、今、 当時の長男を思い出してかわいそうでかわいそうで、 泣けてくることもあります。

 

どでかい体になり、特別、気にかけてあげる必要もなくなり、 間もなく自立していく長男に、「あのとき、ごめんね。」 という気持ちだけで、ときどき、優しさを思い出しています。

もう間もなく、それすらできなくなるから。

 

今は、成長している亜希ちゃんを見て、「もっと、もっと」 という気持ちになるのは本当によく分かるんだけど、ぜひ、「 まだ3才くらいの感覚かもしれない子が、 いきなり小学校に放り込まれようとしてるんだ。」 というくらいの気持ちで、亜希ちゃんがどんなにがんばってるか、 どんなにひとりぼっちか、 どんなに母が味方してやらないといけないか、 わたしの後悔を参考に、ときどき思い出してみてください。

 

わたしは今、当時の長男も自分も、「よくやった、よくやった。」 と抱きしめてあげたい気持ちです。

 

 

かおり先生

 

お返事ありがとうございます。

 

先生のお返事読んで、ほんとになんかスッキリしました

 

そうだ、小学校行かないって叫んでたのに行けたじゃん! という、大事なことを思い出しました笑

 

それからうんとほめて、また頑張ろうと思いました。

ありがとうございます

わたしの三男が乳幼児突然死症候群で亡くなったとき、「耐えられるお母さんを選んで生まれてきたんだよ」という考え方を何度か聞きました。

そのときのわたしは、「わたしは耐えられてない。選ばれなくても良かった。」としか思えませんでした。

生徒とお母さんを見ていても、「選んできたんだよ」と美しくまとまっている親子よりも、「なんでよりによって、こんな神経質なお母さんに、こんなガサツな子が組み合わさっちゃったのやら。」と、トホホと見つめてしまうペアも少なくないのです。

そんな親子にとっては、「選ばれて」ってのが、もしかしたら辛く感じてしまうかもしれないな、と思います。

最近は、もう、「親子なんて、たまたま偶然の組み合わせ。そんなに深い意味なんかないから、ただ、目の前の子どもの親になるってだけ!」と考える方が、なにかとすっきりします。

育てにくいのは親のせいじゃなくて、たまたまの組み合わせ。
同じように育てにくい子なのに、おおらかに素敵に上手に育ててるように見える他のお母さんがいたって、それも、たまたま上手く組み合わさっただけ。


わたしと息子たちも単なる偶然の組み合わせ。なんでまた、わたしのところへ来たのやらと思うこともひっくるめ、ペアなんだからやるしかありません。

今日だって、頭の血管がキュウっと縮む感じがして、吐きそうになるほどイライラしました。

なんだってまた、「人のものを片付けてあげるのが死ぬほど嫌いな母」のもとに、来る日も来る日も、脱いだ服、持って帰ったカバン、鼻かんだティッシュ、濡れたカッパ、、、何もかもをリビングに置いたまま寝てしまう男子たちが生まれてしまったのか。

喧嘩してみたり、機嫌良く工夫してみたり、とにもかくにも、日々を共に過ごすしかない。それが、たまたま組み合わさった親子ってものです。

9月半ば。

子どもたちが変です。

 

「リトミック行きたくない。」と言う子が増えます。

ひとりひとりの理由はそれぞれです。

そう言う子がいるのは自然なことですが、問題は、他の時期に比べて、数が増えるということです。

 

わたしは、いつも、「子どもの言葉をそのままに受け取らない」ということを思っています。

子どもは、自分の知っている範囲でしか言葉が使えません。

それに、たとえば、「何となく幼稚園の集団生活に違和感を感じており、加えて、気圧の変化から軽い頭痛があるために、気持ちがネガティブになっている。ただ、外では我慢しているので、そのうっぷんをどうしても妹にぶつけてしまい、ケンカが増えている。季節の変化や体調の変化に伴って、良くなっていくと思う。」と説明できる幼児がいたら、お会いしてみたいものです。

 

子どもは、どうにも説明のつかない自分の状態を、一番かんたんに伝えられる言葉を使って「助けて!」と言います。

もしかすると、それが「リトミック行きたくない。」かもしれない。

言葉の奥にある、本当に伝えたいことに心を傾けることが大切だと思います。

 

なんとなくモヤモヤして、気候や体調、環境の変化を待つしかない場合、ストレスになっていることを解決するよりも、親がただ「分かってあげて受け止める」だけで良い場合もとても多いです。

いずれ自立することを考えると、「親がストレスをどけてあげる」のではなく、「処理の仕方を教える」方が役立ちます。

 

それから、ハイテンションでおしゃべりする子が増えます。

それだけ見ると、「慣れたのかな?」「嬉しいな。」っていうことなんですが、これも、数が多いということと、「普段はそんなに自分のことを話さない子が急に話し出す」ことが、「あれ?」と思います。

 

体の接触が増える子もいます。

自然におひざにもぐりこんできたり、手をつないできたり、抱きついてきたり。

これも、数が増えます。

 

いろんなことがあるのだろうなと思います。

もうすっかり成長した、自分の息子たちも「おかしいな。」と感じる、いつもと違う行動を取っています。

 

こういうとき、生徒には「先生は変化も受け止めるよ。変化することは自然で、それであなたを好きという気持ちが変わることはないから安心して、変化に身を委ねてて。」というメッセージを送るようにしています。

わが子には、「自分の限界を知り、限界を超えたらおかーちゃんは味方だから、安心してストレスにぶつかりなさい。」というメッセージを送ります。

共通して、ベースには「あなた自身が何とか乗り越えるだろうと信じているよ。わたしは変わらないから大丈夫。」と思っています。

 

具体的には、相手が「こうして欲しい」と思っていることをやってあげたり、言ってあげたりします。

小さなことです。

抱っこしてあげるとか、頬に触れるとか、ただ一緒に過ごしてあげるとか、長くおしゃべりしても不自然でない状況を作ってあげるとか。

本人すら気づいていないかもしれない「こうして欲しい」をどうやってキャッチするかは、日々の観察でしかないように思います。

 

息子の場合は、「口で言っている理由」については「そうか、そうか。」と聞くだけで、全然取り合いません。

外部へは何も行動を起こさず、全部、家の中で収めてやります。

すると、体調や心の準備が整ったら自分で乗り越えるからです。

行動を起こしちゃうと、もう、そっちの流れに乗ってつじつまを合わせないといけなくなります。

大人だって、弱ってるから、ついつい弱音を吐いてしまって、本当はそこまでするつもりじゃなかった・・・、ということがあります。

 

9月。

子どもが変です。

 

「なんとか変じゃなくする」のではなく、「変になることもあるのは自然なことと受け止める」ことで、子どもは安心して大人になっていけるように思います。